2012年御翼9月号その1

父の臨終、残された借財―藤尾英二郎先生

 伝道師の故・藤尾英二郎先生は、人の借金を保証していた父親を22歳のとき亡くした。先生は長男だったため、返済の責任を引き受けた。人並みに働いていたのでは返済できないので、人の三倍働いたという。父が創めた仕事は印刷だったが、先生がオフセット印刷機をいち早く入れてから、各地の映画館などのポスターの注文がたくさん取れ、13年で完済できた。「このおかげで努力することと、感謝することが身につきましたので、父がのこしてくれた借金を感謝しています」と先生は記している。 生前は仏教徒だった父親は、英二郎先生がクリスチャンになったことを非常に嘆いていた。その父が残した負の遺産も、先生の信仰的な成長の糧となったと感謝しておられたのだ。そして、その父自身もキリストによって救われたと確信する出来事が起こる。以下は、先生の著書『主キリスト第一』(同信社)からの引用である。

父の臨終

 「ワシの最後の頼みやさかい、これだけは、きいてくれな、きいてくれるやろなあ。たのむぜ、たのむぜ」苦痛のはげしい息も絶えだえの父の臨終まぎわの言葉は続く。「なあヤソ教を信ずることだけはやめてくれな、たのむぜ、たのむぜ、」私はじっと黙っていた。「たのむ、たのむ、他には何もお前には言うことあらへんけどな、キリストを信ずることだけはやめてくれな、先祖様に対して申し訳ないからな、たのむぜ、たのむぜ」父のこの世の最後も間近い部屋の空気が一瞬異様な雰囲気に包まれたのは当然のことであった。
 苦痛の激しい中から、最後の力をふり絞っての、父の私に対するただ一つの懇願が、一層部屋の空気を重々しくしていた。父の脊や腰や足をさすっていた伯母(父の姉)が、目くばせをして私を次の部屋にさし招いたのはそれから間もなくであった。「なあ、お父さんの、この世での最後のおたのみやさかい、快ろようきいてあげてな。私からもたのむさかいな。お父さんを安心さしてやって下さいな。たのみまっせ。なあ、このようにたのみまっせ。」伯母は両手を合して私を拝むようにしての必至の懇願である。
 なおも沈黙を守り続けている私に伯母はいよいよ、たまりかねてこうも言葉をつけ加えた。「なあ、あんたがもしもヤソ教の信仰をやめられへんちゅうのやったら、やめえでもええさかい、嘘でもええさかい、ひとことキリストを信ずることはやめるさかいと言ってお父さんを安心さしてやってくれへんかな、恩に着ますさかいなあ、ぜひ、ひと言、ヤソ教を信ずることはやめるさかいと言うてな、安心さしてやってな、もうこの世での最後の親孝行やと思うてな、頼みまっせ。」
 真剣な伯母の人情に訴えての懇願である。しかし心の中で主キリストに祈ってから私は始めて口を割った。「世の中には嘘を言ってもかまわへん嘘と、嘘を言ってはいかん嘘があるもんや、そやさかいな、ヤソ教を信ずることはやめますという嘘は言うたらいかんウソやさかい、これは言うことできまへん」きっぱり私は言い切ったのである。父はついにこの世を去った。大正十二年一月二十九日の忘れもしない寒い寒い日であった。私がバプテスマをうけたのは大正十年十一月二十七日のことであるから、入信後一年と二カ月余りの後のできごとだったのである。                               
 その父が死んでから三日後の夢のうちに父が相好(そうごう)をくずして私に現われたのである。私の一生の間で、この時ほど父が喜びに溢れた顔を見せくれたことは一度もなかった。全く相好をくずして喜々として私の前に現われたのである。そして間もなく夢は消えたのである。言葉としては、ひと言も喋らなかったが、私には父の言わんとすることはわかりすぎるほどわかったのである。
 つまり父が黄泉へ行って見たところ、息子が信じていたキリストさまが正しい信仰で、父が信じていた宗教がダメだったことが初めて父にわかったのである。キリスト以外には救いのないことが初めて父にわかったのである。そのため神は私を憐みたもうて父を夢のうちに現わしめたもうたのだと思われてならないのである。たぶんそうであろうと思う。不思議なことにあれ以後、今日まで四十有余年にもなるのに、父は今だに一度も現われてこないのであるというのであるから、父の満足も分ろうというものである。
 そして私は本当の親孝行をすることができたのである。キリストを熟愛することが親孝行にも直接結びつくのである。あの時、嘘でもよい、嘘も方便だからと言われて、万一嘘でも言っていようものなら、父の霊は浮ばれなかったであろうし、私の主に対する良心は永遠に消ゆることなくとがめられているであろうし、私のキリストに対する不貞節を父はひどくとがめることであろう。たとえ長い旅路の一日の出来事であるとしても主キリストにある者はこういったことを通してもすべてにおいて守られていることを悟るのである。
 この地上にいる人間はすべて、キリストの救いの賜物を得られるよう、神に招かれている。その招きは消えることがないのだ。

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